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徳川家康の時計②

2007.08.25

皆さん、こんばんは。

※読んでいない方は、

徳川家康の時計①
を先にお読みください。

さてさて、早速昨日の話の続きです。

フランシスコ・ザビエルが、持ち込んだ時計は、

残っていないという話をしましたが、

では、日本に残っている一番古い機械式時計は、

どんなものなのでしょうか???

実は、1611年にメキシコの総督から徳川家康に

送られたものなのです。

(懐中時計ではなく、置き時計です。)

そして、徳川家康は、この機械式時計を大いに利用して、

長期政権を手に入れたのです・・・・

と、言いたいところですが、実は家康もこの機械式時計を

ただの飾り物程度にしか考えていなかったのです。

何故なら、この時計もフランシスコ・ザビエルの時計と

同じく、日本では役に立たなかったからです。

さて、一番気になるのは、この日本に現存する

最古の機械式時計が一体どこに保管

されているかということです。

実は、静岡県の久能山東照宮にあるのですよ。

知っていましたか???

数年前にこの話しを聞いたとき、当時は日光の

東照宮と勘違いしてしまい、日光に行きそう

になったのを思い出しました。(笑)

是非、一度実物を見に行きたいものです。

西洋の機械式時計が日本で役に立たなかった話しを

繰り返ししていますので、いい加減に理由を教えろ!

と思っている方も多いことでしょうね。

理由は、簡単です。

当時、日本では、「定時法」ではなく「不定時法」で時刻を

決めていたからに他なりません。

「定時法」というのは、一日を等しく24で割り、そのひとつを

1時間とするもので、現在の世界中の時刻の概念は、

これに基づいています。

では、「不定時法」というのは、一体どんなものだった

のでしょうか???

日本の時刻は、日の出から日の入りまでを12で分け、

日の入りから日の出までを12で分けるという、

なんだか複雑なものです。

当然、昼と夜の1時間の長さは変わりますし、

もっと言うと季節によって、日照時間が変わりますので、

1時間の長さが変わってしまうというものなのです。

何と面倒くさいことを・・・(笑)

このために、西洋から渡ってきた「定時法」の時計は、

あまり役に立たなかったというわけです。

では、日本で役に立つ機械式時計は、

いつ頃出来たのでしょうか?

実は、この時代の日本にも天才時計師が既に

いたというから驚きです!!!

フランシスコ・ザビエルの時計が日本に入ってから

54年後の1605年、津田助左衛門が機械式時計を

日本で初めて作り、やはり徳川家康に献上したという

記録が残っています。

ほ~!!!!

久能山東照宮に残っている時計より前に作られている

のですが、残念なことに、この時計も現在残っていません。

そして、この頃の時計は、先ほどから言っている

「不定時法」に合わせて、昼と夜の時間の長さの違いや

季節によっての違いを、職人が毎日調整をする

という、面倒なものだったといわれています。

先日行った、国立科学博物館に展示されていた

和時計というのは、こういった日本独特のもの

だったわけです。

後に、この津田助左衛門は、天文時計を作り、

日本の時計職人の第一人者になります。

お~~!!!

格好良いですね~。

よ!助左衛門!!!!(笑)

フランソワ・ペルゴが持ってきたジラール・ペルゴ社

の日本で初めての機械式スイス時計が、

まったく売れなかったのも、実はこんな

理由なのですね。

明治になって、日本でも定時法が採用された

ことによって、和時計は、意味を成さなくなり、

廃れていきます。

もっと早くから定時法を採用していれば、日本にも

世界に通用する機械式時計ブランドが、

存在していたかもしれませんね。

1605年創業の「TSUDA SUKEZAEMON」なんて

世界最古の超伝統ブランドが・・・・(笑)

ちなみに、明治時代になると、西郷隆盛がロンジンの

懐中時計を使っていたのは、結構有名な話です。

こうして、この後、国立科学博物館にある

「万年時計」へと話が続くのです。

めでたし、めでたし。

→万年時計についての過去ブログ