2003年10月27日。この日は、私にとってもCOMMON TIMEにとっても、忘れられない一日となった。
その日、私は元町の霧笛楼で少し遅めのランチを取っていた。目の前に座っているのは、初老の紳士――IWCの頭脳と呼ばれたクルト・クラウスさん。そのやさしい目の奥にある情熱を感じながら、私は夢中で時計の話をしていた。
この一年前から、IWCの総代理店には「クラウスさんが来日することがあったら、ぜひ当店にお招きしたい」と願い出ていた。そしてついに、その日が来た。
正直、緊張というより「この機会に絶対に聞きたいことが山ほどある」という気持ちの方が強かった。
クラウスさんと向かい合い、2時間以上も食事をしながら時計談義。IWCのムーブメントについて、その開発思想や、なぜETAをベースにするのか――私は子供のように質問を浴びせ、クラウスさんもまた、ひとつひとつ丁寧に応えてくれた。
このときの会話は、私の“時計観”を根底から変えるほどのインパクトがあった。
そして午後。
この日、当店では初めての「お客様イベント」を開催した。
主役はもちろんクルト・クラウスさん。
横浜の時計ファンが店に集まり、クラウスさんの講演に熱心に耳を傾ける。その光景を見て、私は「これが本当にやりたかったことなんだ」と心から思った。
時計をただ「売る」だけでなく、その裏にあるストーリーや哲学、ものづくりの魂を“伝える”。その場を“共有する”こと。
COMMON TIMEがただの販売店ではなく、「文化をつなぐ場所」として生まれ変わっていく瞬間だった。
この日、思いもかけない“出会い”が次々に起こる。
その一つが「時計王」松山猛さんの突然の登場だった。
イベントの噂を聞きつけ、予告もなく店に現れた松山さんは、初対面の私に「ごめんね、突然来ちゃって」と自然体で話しかけ、まるで昔からの友人のような空気で店の奥へと入っていく。
その姿に圧倒されつつも、私はすぐにその人柄に惹かれた。
この日をきっかけに、松山さんには時計の奥深さや文化的背景、さらに人としてのあり方まで、多くのことを教えていただくことになる。
「時計は、ただ時を刻むだけのものじゃない」
松山さんのそんな言葉が、今も私の心に強く残っている。
イベント当日は他にも、時計雑誌の編集長、評論家、テレビや新聞の記者など、業界のさまざまな人々がCOMMON TIMEを訪れてくれた。
そしてこの日以降、雑誌や新聞で当店のことを取り上げてもらい、横浜で少しずつ「時計と言えばCOMMON TIME」という評判が広がりはじめた。
当時はちょうど、ETAムーブメントの評価を巡って時計好きの間で議論が白熱していた頃だった。
「機械式時計の面白さって、どこにあるんだろう?」
「ブランドごとの哲学や違いって?」
そんな熱い会話が、イベント後も店のあちこちで交わされていた。
会話の最後、担当者はこう言った。
「分かりました。そこまで言うのならやりましょう!」
「えっ……?今、何て?」
思わず聞き返した。まさかこの場で了承してもらえるとは思わなかったからだ。
1999年11月のことだった。
この「一日」は、私たちにとって単なる記念日ではない。
時計を愛する人々が集い、語り合い、情報や感動を“共有する場所”としてのCOMMON TIMEの出発点となった日だった。
一人のファンとして、ひとりの販売員として、そして一人の“物語の語り部”として、私はこの空間がもっと多くの人の「居場所」になればと強く思った。
時計はただ売るだけでは終わらない。
その先にある「人」と「物語」との出会い――
それこそが、COMMON TIMEが目指す本当の価値だと、この日をきっかけに私は確信した。
「あなたの時計に対する情熱、横浜の町の空気、すべてを感じたかった」と語ってくれた。
私は「IWCのムーブメントに込められた哲学」について、夢中で質問した。クラウスさんは、2時間以上もかけて一つ一つ丁寧に答えてくれた。
時計のことだけでなく、「なぜIWCはETAムーブメントを採用するのか」「どこに独自の工夫を入れているのか」――その言葉の一つ一つが、私の価値観を大きく揺さぶった。
私はその後、自分の手でETAの7750とIWCのクロノグラフのムーブメントを取り寄せ、まるで小学生が昆虫を観察するような目で、細部を見比べた。
「自分の好きなことに、ここまで夢中になれる」ことが、どこか嬉しかった。
この日のイベントには、雑誌編集長、評論家、テレビや新聞の記者なども訪れた。時計に情熱を注ぐ多くの人たちと、ここ横浜で出会い、繋がることができた。
「COMMON TIME」は、ただの時計店から、時計文化を語り合う“場”へと、少しずつ変わり始めていた。