COMMON TIME Philosophy-横浜時計物語

横浜時計物語
2025.10.10

第八回~エピローグ後編
メディアの広がりと横浜時計物語

イベントにお呼びしたプレス関係の方々が面白がってくださって、雑誌や新聞などでこのイベントのことをとても多く取り上げてくださった。

中でもtvk(テレビ神奈川)が、フランソワ・ペルゴの物語を一本の番組にしてくださったのには正直驚いた。番組のタイトルは「横浜時計物語」・・・。2007年5月、松山猛さんや、山田五郎さん、くりいむしちゅーの上田さん等が出演してくださって、とても地方局がやる番組とは思えない豪華な布陣と内容で番組が放送された。2005年に松山猛さんからフランソワ・ペルゴの話の存在を教えていただいてから2年近い年月が経っていた。このことがきっかけで、横浜で時計を扱うということには、特別な意味があるのだと思えるようになった。この横浜を舞台にした時計の物語は、他にも沢山あるのかもしれない。1864年に横浜で創業したファブル・ブラント商会の横浜商館時計などは業界では良く知られている存在でもあるし、同社がゼニスやユリス・ナルダンの輸入元であったことも良く知られている。また、生糸貿易商社として横浜で1866年に創業されたシイベル・ブレンワルド商会は、過去にはオメガの代理店としても有名であったし、現在でもDKSHジャパンとしてモーリス・ラクロワやスピークマリンの輸入元でもある。

横浜には時計の素敵な物語がもっとあるはず・・・そんな思いから横浜と時計について色々と調べていると、ひょんなことから宇津木計器という会社を知ることとなった。

〈毎年フランソワ・ペルゴのお墓参りに貴重な横浜商館時計を披露していただいている大川さんとの出会い〉

1905年に東京京橋で創業し関東大震災後に横浜の本牧へ移転、終戦後高島町や弁天通りに本社を移転して発展した同社は、当時外国船から船舶時計の修理を受けていた会社であったらしい。その会長室には、当時の船舶時計の信じられないようなコレクションが飾られていたのだ。私は、それを知るや否や後先考えずに宇津木計器にメールをし、とにかく遊びに行きたいという迷惑なお願いを申し入れた。そして快く引き受けてくださった宇津木会長(当時社長)から貴重なお話を聞かせていただきながら、古いユリス・ナルダンのマリン・クロノメーターをいくつも見せていただいたのだ。いや~、凄ずぎる!聞けば当時外国船から修理を預かったまま航路変更や廃船などの事情により受け取りに来ることが出来なかった船舶時計が溜まっていったものなのだとか。

その後、いくつかの時計雑誌の編集長や新聞社、tvkなどに声をかけ、再び大挙して押しかけてしまったのだが、毎回宇津木会長は快く対応してくださった。その時の事は、やはりそれぞれの雑誌や新聞で記事にしていただいたのだが、tvkでは「船舶時計物語」という番組がまた一本作られた(笑)。

「横浜時計物語」・・・私の時計人生の物語であり、そしてこの横浜という地に眠っている時計の素敵な物語でもある。この先もっともっと素敵な物語が発見されることを祈ってペンを置きたい。