COMMON TIME Philosophy-横浜時計物語

横浜時計物語
2025.08.22

第二回
機械式時計の世界へ – COMMON TIMEの第一歩

「本当に好きな時計を店に並べたい――」
そう思っても、現実の壁は想像以上に高かった。

私が父の仕事を手伝い始めた当時、「機械式時計」は世の中からほとんど忘れ去られていた。クォーツ時計の登場で、かつて当たり前だった機械式時計は
“古いもの”“時代遅れ”として片隅に追いやられ、若い世代の多くはその存在すら知らなかった。
それでも、私の中にはどうしようもない情熱がくすぶり続けていた。あのアンティーク時計屋で味わった「時計という世界の奥深さ」。あの手触り、音、そして歴史をまとった佇まい。人の心に直接語りかけてくる何か。
それは“ただのファッション”や“流行”とは違う。時間や空間を超えた、本物の魅力だと信じていた。

まず私は、父の店の片隅に小さなスペースをつくり、少しずつ自分の好きな時計を並べ始めた。といっても、実績のないショップに商品を出してくれるメーカーや正規輸入元は、ほとんどなかった。
「うちの商品を、あなたの店に置く理由がないですよ」
「実績がない店に商品は出せません」
――断られることが日常になった。

あの頃、今のCOMMON TIMEの土台となる“しぶとさ”が自分に生まれたのかもしれない。
私はとにかく、時計のことを調べ、書き、話した。機械式時計が好きだという人を見つけては、ひたすら語り合った。まだSNSも、ネットのレビューもなかった時代。情報の多くは人から人へ、熱量ごと手渡されていった。

そんな中、私に初めて“本気”で向き合ってくれたブランドがある。それがゼニスだった。
当時のゼニスは、今のような大きなブランドではなかったが、独自の哲学と伝統を持ち続けていた。私が繰り返し熱意を伝えたこともあり、「じゃあ、やってみましょうか」と取引を許可してくれた時のことは、今でもはっきりと覚えている。

〈バーゼルフェア開催時のZENITHブース〉
〈バーゼル駅前〉

とはいえ、その船出は決して華やかではなかった。
機械式時計に興味を持つ人など、ひと月に一人か二人いれば良い方。ゼニスの商品の前で足を止めてくれる人はほとんどいない。ピラーホイールがどうとか、36,000振動がどうとか、そんな言葉に反応する人はさらに少ない。

「本当に大丈夫か?」
何度も自問した。正直、不安しかなかった。
けれど、店に並んだゼニスの時計たちを眺めていると、その不安もどこか消えていく気がした。
「やっぱり、これだよな」
自分が信じるものが、いつか誰かに響く日が来る。そう信じて、私は一歩を踏み出していた。

横浜の元町。
かつてジャズとアメリカ文化が入り混じるこの町で、多くの若者が“本物”を求めて彷徨った。
私の中にも、あの時代の匂いが染み付いている。情報も人脈も限られた環境で、それでも「自分がいいと思うものを、ちゃんと伝えたい」という強い思いがあった。

父は「宝石の価値」を、お客様の人生と照らし合わせて話す人だった。私もいつしか「時計の価値」を自分の人生と重ねるようになっていた。
ゼニスの機械式時計。その緻密さ、機能美、そして決して時代に媚びないデザイン。
「こんなに面白い世界があることを、もっと多くの人に知ってもらいたい」
その思いだけが、何度も壁に跳ね返されても、私を前に進ませてくれた。

今、振り返れば「機械式時計が注目されていなかった時代」に、ゼニスとともに始めたあの挑戦は、COMMON TIMEというブランドのルーツになったと思う。
初めて時計の棚に灯った小さな光――それは、まだ誰も見ていなかったけれど、確かに“未来”につながっていると信じていた。

バブル崩壊の余韻が消えない中で、不安とワクワクが入り混じった日々。
「本当に好きなものと、本気で向き合って生きていく」
その決意だけは、あの頃から今も変わらない。