COMMON TIME Philosophy-横浜時計物語

横浜時計物語
2025.08.29

第三回
IWCとの出会い – ブランドとの信頼構築

ゼニスと歩み始めたものの、「本当に好きな時計ブランド」との取引を増やしたいという気持ちは、日々強くなっていった。
その中でも、どうしても扱いたいブランドがあった。それがIWC――インターナショナル・ウォッチ・カンパニーだ。

IWCとの最初の接点は、正直に言えば、「扉の前で何度も叩き返される」という苦い体験だった。
今思い返せば、あれほどまでに断られても諦めずにいた自分を「しつこい奴だな」と思わなくもないが、その頃の私は、ただただ“本物”を扱いたいという一心だった。

当時の私は何のツテもなく、いきなりIWCの日本総代理店に電話をした。
「すみません、IWCを取り扱いたいのですが……」
電話口の対応は、驚くほど冷たかった。
「今は商品がまったく足りませんから、新しいところと取引を始めるというのは考えられません」
電話はあっさり切られた。
「これが、現実か……」と受話器を持ったまま、しばし呆然とした記憶がある。
涙は流さなかったけど、正直、悔しさがこみ上げてきた。
それでも、「ダメならダメで、どうしても諦めきれない」そんな性格だった。

何度も電話をかけ直した。返事は変わらない。
それならばと、思いきって直接オフィスに足を運ぶことにした。アポイントも取らず、新宿の高層ビルの中を歩きながら、「さすがにこれは非常識か……」と内心思いながらも、受付で一番肩書きが上の人を内線で呼び出す。
「田中と申します。IWCをどうしても取り扱いたいんです」

思いがけないことに、相手は私の店のことを知っていた。
「ああ、しつこく電話してくるあの店ね」という空気が伝わってきたが、会議室に通してくれた。
「私はどれだけIWCが好きか」という話を、とにかく一生懸命に語った。
どこかで“熱意が通じる瞬間”を信じていた。

会話の最後、担当者はこう言った。
「分かりました。そこまで言うのならやりましょう!」
「えっ……?今、何て?」
思わず聞き返した。まさかこの場で了承してもらえるとは思わなかったからだ。
1999年11月のことだった。

IWCとの取引がスタートした瞬間、頭の中で何かが弾けた。「好き」が「本物の仕事」になる瞬間だった。だが、その道のりがこれで終わったわけではない。

IWC技術部門の最高責任者、クルト・クラウス氏を招いて開催した講演会