COMMON TIME Philosophy-横浜時計物語

横浜時計物語
2025.09.05

第四回
時計ファンとのつながり – イベントと出会い

話を元に戻そう。2003年10月27日・・・実は当社でお客様を招いてクルト・クラウスさんの講演会を開催した日である。そしてこれが当社で行った初めてのイベントでもあった。当時からの時計ファンの方は覚えておいでだろうか?丁度この頃、機械式時計のETAムーブメント(現スウォッチグループが作る量産型の時計機械)の評価についての議論が白熱していたことを。今でこそETAムーブメントの実力は良く知られているし、各ブランドがどのようにETAと関わっているかも理解されている。しかし当時はこのETAムーブメントが随分誤解され、そしてその良し悪しが議論されていたのである。その議論はIWCに対しても例外ではなかったのだ(現在IWCはETAムーブメントを使っていません)。そんな事情もあり、私はクラウスさんに是非IWCのムーブメントに対しての考え方を聞きたいと思い、イベントの前に霧笛楼でのランチに誘ったのである。

IWCはどのように考えてETAムーブメントをベースに使い、そしてどのように考えてETAムーブメントを改良しているのか。この時クラウスさんから食事をしながら2時間ほどかけて伺った話は、その後の私の時計観を大きく変えた。後日、実際に自分の目で何処がどう違うのかを確かめてみたくなり、ETAの7750とIWCのクロノグラフのムーブメントをそれぞれ手に入れて、その観察に心を躍らせた。まるで小学生がカブトムシを観察する時のようであったと思う。そしてIWCがETAをそのまま使うのではなく、パーツを変えたり改良して使っていることが確認出来たのである。

さて、この日この「横浜時計物語」の舞台に初めて登場したのはIWCのクラウスさんだけではなかった。もう一人、その後この舞台の上で大切な存在となる人物との出会いがあった。時計王の松山猛さんである。この日、このイベントの噂を何処かで聞きつけた松山さんが、何の前触れもなく当店にやって来て受付にいた私を驚かせた。今でもこの時のことは良く覚えている。「ごめんね。突然来ちゃって・・・」と親しい友人への挨拶のように軽く手を上げ、当たり前の様に店の奥に入っていく松山さんに初対面の私はかける言葉を失った。あの時の松山さんの登場シーンは、この「横浜時計物語」にとって忘れられない大切なシーンのひとつとなっている。それ以降松山さんには色々な事を教えて頂き、そして色々な面で御世話になった。

この日、この舞台に初めて登場する人物は他にも沢山いた。雑誌の編集長や評論家、更にはテレビ局や新聞の記者の方々などともこの日をきっかけに親しくさせていただけるようになった。そんな中いくつかの時計雑誌や新聞が、この日のイベントの事を記事にしてくださったことで横浜では少しだけ評判になった。本当に多くの何気ない出会いによって今のCOMMON TIMEが支えられているということを実感している。そして、この日1日で「横浜時計物語」の舞台に登場する多くの役者が揃ったのだ。しつこいが2003年10月27日のことであった。

〈時計王 松山猛氏〉

〈クロノス日本版 編集長 広田雅将氏〉