「今年は田中さんの為に作られた時計が発表されましたよ。」・・・某ブランドの当社担当A氏にこう言われた。2006年4月のジュネーブサロンでのことだ。そのブランドのブースに行き商談を始めると、1本の時計が出てきた。その時計を手にして私は興奮した。
IWCのクルト・クラウスさんを招いて行ったイベント以降、時計王の松山猛さんとは親しくさせていただいていた。その松山さんからジラール・ペルゴの創始者一族のお墓が横浜の山手にあることを聞いたのは、2005年のことだった。詳しく聞くと、ジラール・ペルゴの創始者一族の墓が山手の外人墓地にあるという。彼の名前はフランソワ・ペルゴ。その彼が165年以上も前にジラール・ペルゴの時計を12本持って日本にやってきたということを聞き大いに感激した。
そして、現在彼の眠っている目の前でジラール・ペルゴの時計を扱っているということに、正直運命的なものを感じた。何という奇跡!この時、初めて横浜という場所が、時計にとっては特別な場所なのだということに気が付かされた。
2006年4月、ジュネーサロンで某ブランド・・・すなわちジラール・ペルゴから発表された1本の時計を手にとって私は興奮していたのである。ww.tcのフランソワ・ペルゴ特別限定である。ワールドタイマーの通常は日本の首都である「TOKYO」と記されているはずのところに、赤い文字で「YOKOHAMA」と入っているのである。うぉ~!!!!めちゃめちゃ格好良いじゃないか!!!この時計と対面した時の素直な感想であった。
さて、この素敵なストーリーと素敵な時計・・・何とかして一人でも多くの時計ファンに知らせたいものである。色々と考えた結果、お客様やプレス関係の方々を招いてフランソワ・ペルゴのお墓参りに行くことにした。せっかくお越しいただくのだから、フランソワ・ペルゴ限定を日本で最初に皆さんにお披露目できるようにしたい。
フランソワ・ペルゴの感動ストーリーも知っていただきたい。GPの超複雑時計のコレクションも見ていただけたら素晴らしい。そして、いつものように飲んで食べて楽しく過ごしていただこう。とにかく色々と思いは尽きない・・・。
2006年7月26日「ジラール・ペルゴYOKOHAMA NIGHT」と題して、本当に多くの方にフランソワ・ペルゴの物語を知っていただくイベントが元町本店で開催出来た。当日は驚くことにフランソワ・ペルゴが実際に日本に最初に持ち込んだGPの懐中時計2個が店頭に飾られた。これだけのことが出来たのには当然ソーウィンド・ジャパン(ジラール・ペルゴの日本輸入元)の当時のCEOの下氏や当社担当のS、そしてPR担当のKさんがご尽力くださった結果である。
さて、この話はここで終わらない。(後編に続く)